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土佐典具帖紙は、厚さわずか0.03ミリという世界一薄い和紙であり、その流し漉き技法の極致は、重要無形文化財に指定されています。明治時代、この和紙は記録用タイプライター紙として開発され、日本の製紙技術の精華として欧米諸国へと輸出されました。当時、その輸出高は日本全体の約12%を占め、貿易産業に多大な貢献を果たしました。

 

しかし、昭和時代に入り機械製紙が主流となると、需要は激減し、手漉き和紙の存続は危ぶまれました。それでもなお、土佐典具帖紙を唯一継承する浜田家の職人たちは、その技を極め、上質の和紙を追い求める道を選びました。1972年には、浜田家ただ一軒となりながらも手漉き和紙を続ける決断をし、その伝統を守り抜きました。このような信念と覚悟があったからこそ、技術は絶えることなく受け継がれてきたのです。この継承には、単に技術だけでなく、その背後にある志や心もまた重要です。一朝一夕で習得できるものではなく、長い時間と深い理解を経てこそ、真の継承が可能となります。

昭和52年、後に人間国宝となる浜田家四代目の職人が、ちぎり絵作家・亀井健三氏と出会ったことで、土佐典具帖紙に新たな可能性が生まれました。亀井氏が「紙をちぎる」作品にこの和紙を使いたいと提案したとき、四代目は迷いながらもその意図を深く理解し、新しい挑戦を受け入れました。最高の技術で漉かれた紙を「ちぎる」という用途に用いることへの葛藤はあったものの、紙が持つ可能性を信じ、新たな価値の創造に踏み出したのです。この選択が、土佐典具帖紙の未来を大きく変えました。この時に拒んでいたら、今の繁栄はなかったと言っても過言ではありません。そしてこの時の決断こそ、技術とともに受け継ぐべき職人のマインドそのものです。

 

さらに、文化財修復という新たな役割も見出されました。劣化せず、強靭でしなやかな和紙は、ボストン美術館の「浮世絵」やルーヴル美術館の所蔵品など、国内外の貴重な文化財の修復に用いられています。その象徴的なプロジェクトの一つが、バチカン市国システィーナ礼拝堂のミケランジェロ作「最後の審判」の修復です。

 

こうした和紙の可能性を切り拓く背景には、何世代にもわたり極められてきた技術と、その技術を支える揺るぎない信念があります。土佐典具帖紙の継承を担う浜田家が守り続けてきた職人の心構え――伝統を守るだけでなく、新たな価値を受け入れ、時代に応じた挑戦を恐れない姿勢――は、技術と同様に未来へと受け継ぐべき最も重要な遺産なのです。

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